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縄文から弥生へ
日本人は単一民族か?
先に答えを言うとNo!

古代朝鮮からの侵略部族が、日本を支配してきた」などという刺激的な記事がWebにあるようだが、最近の歴史(古代史)では通説として扱われていますので、歴史観が大転換するほどのことではないようです。
とは言うものの、専門書などを読んでもイマイチ理解できない場合があるので、要点をかいつまんでオイラの考え(想像)を書きたいと思います。

まず、縄文時代とはどんな時代なんでしょう。
オイラが小学校などで学んだ三十数年前は、縄文人=原始人と教えられました。
ところが最近の考古学によって縄文時代でも都市を作って稲作や栗などの栽培が行われていたことが解りました。
それじゃ弥生時代と同じだと思われますが絶対的に違うのが戦争の有無です。
縄文時代には集落間の大きな戦争は皆無だったと言われています。
一方、弥生時代になると略奪に近い戦争が頻繁に起きているようです。

さて、縄文=平和、弥生=殺戮と様変わりした原因は何だったのでしょうか?

平和な縄文時代は約1万年も続いたと言われています。
自分たちの縄張りを持ち、他の集団の縄張りを犯さない契りがあったと思われます。
また、情報伝達も想像以上に発達していたと思われます。
例えば、弓矢の矢じりなどに使われる黒曜石の当時の産地は、長野県の和田峠のみであるにも関わらず長野県以北の遺跡から多数出土しています。
糸魚川のヒスイも含め青森県や北海道でも見つかっているほどです。
地図も文字もない時代に、どうやって交易し運搬したんでしょうか。

このように平和でありながら情報網も発達していた背景には、縄文人が全てのモノ(森羅万象)に神が宿り、神に対して畏敬の念や感謝の気持ちを持っていたからだと思います。
古神道の原型だとも言われています。



また、縄文土器をじっくり見ますと、現代人にはない想像を絶するような高度な感性によってデザインされていると感じます。

ところが弥生時代になると、のっぺりとしたデザインになってしまいます。
まあ、機能的と言えばそうなんですが・・・
このデザインや製陶は当時の朝鮮半島の高句麗や新羅、百済のそれと同等であり、また、青銅や鉄器も渡来してきます。

朝鮮半島を含む中国では大規模な戦争が行われ、敗者はどこかに逃げなくてはなりません。
そこで交易も含め、中国文化を携えて日本へ渡来する大勢の朝鮮民族がいたんです。
渡来した朝鮮の民は、お人好しの縄文人を金属の武具で圧倒し、文化や信仰を塗り替えていきました。

こうやって縄文時代から弥生時代へ変貌していったと思われます。

つまり、現在の日本人は朝鮮人と縄文人の混血であるとも言えるのです。
ちなみに縄文人の血が濃いのはアイヌや沖縄の人々だと言われています。
顔は彫が深く、ソース顔でイケメンや美女が多いですよね。

縄文人は人類で最高の精神構造をもった優れた民族だと思います。
感性が豊かで、平和で、美女に囲まれる縄文時代が大好きなオイラです!
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Comments
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考えると悶々とします
本当の日本史は、いまだ隠匿されたままという
状況でしょうかね。
単一民族と言っておいたほうが国を統治するうえで、
まとめやすいからでしょうね。
さらに精神的な支柱としてのミカドを存在させることも
それを補強する重要事項なのでしょう。
少なくとも国内の混乱を治める拠りどころとして
機能してきました。
いまだ、その実態は、ミステリーですが。

江戸時代の太平の時代は、日本史のなかでは
縄文的に回帰したような感じもありますね。
その後の維新からの近代史となると、機を
得て再び渡来人の血がかつて追われた出自の
半島や更に大陸へと積年の逆襲に走ったような
行い。
それに先導され動員された多くの民は、結果として
悲惨な状況に遭うこととなりました。
  • ムー:ミン さん |
  • 2010/02/03 (20:50) |
  • Edit |
  • 返信
ムー:ミンさんへ
>本当の日本史は、いまだ隠匿されたままという状況でしょうかね。

いやいや、マスコミの情報も日本国からの情報もどこかでフィルターが施され、時には染められて国民に届きます。
しかし、いくらかアンテナを高くすれば自分が欲しい情報はWebで探れる状況になりました。
また、情報のいくつかは如何物であり真意を見つけるためには自己研鑽をしなくてはなりません。

「野生の感」なんて~のもフル動員して第六感をヒクヒクさせてしまいましょう。

自分の好きな時代を大切にしながら、それに似合う感覚で被写体に対峙して行きたいですね。
  • 風間 さん |
  • 2010/02/04 (23:07) |
  • Edit |
  • 返信
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