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本館の『Photo Gallery 沙塵』へもお越しください。(Linkから飛べます)

   
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14日のダンスイベントに続いて、15日はJazz Saxの坂田明、文楽人形の吉田勘緑、舞踏家の田中泯のコラボレーション『三味一体』を観に行ってきました。

まずは『桜座』を紹介しましょう。
『桜座』は明治中期に地元甲府の中心街にあった芝居小屋を再建した施設です。
文豪の太宰治も通った、今で言う「ライブハウス」です。
ホームページがありますので、どんな催しがあるのかを見てください。

今回は2月9日に行われた「坂田明+田中民」を拡張させて、文楽人形と共にイメージの世界にトリップしましょうという企画のようです。
昨日のダンスイベントとは一変して、観客の平均年齢は50才代と、なんとも落ち着きのある雰囲気です。

桜座を入ると、昭和初期風のカフェの奥にステージの入り口があります。

開演を待ちながらの団欒も楽しそうです。
ちなみに私は、根っからののんべいですので、近くの蕎麦屋で燗酒を呑んで時間調整をしました。
そうそう、その蕎麦屋には出演者の坂田明さんも独りで居て、オジサンの哀愁を漂わせながら、ざる蕎麦をすすっていました。
さすがに憧れのJazz Menではありますが、『サインをくださ~~い!』なんていう野暮な行動には出れない私です。(^^; ガマン

さてさて、いよいよ講演が始まるわけですが、ステージの床は土間なんです。
土埃が立つ土間なんですよ。
そんなネイチャーな空間に、シュールなインプロビゼイションが深く心に響いてきました。
ごめんなさい。さすがに公演中の画像はコレしかありません。

いやいや感動でしたよ!!
終演後はお約束の爆酔パターンで余韻を楽しんでの帰宅。
アートな二日間は台風一過と共に暮れていきましたとさぁ~(^-^)
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台風の進路が心配なところではあるが、そんな状況を他所に甲府市内で開催されたダンスイベントを見に行ってきた。
参加ダンスチームは20組を超え、PM 5:30の宵の口から盛り上がっていた。
会場はオイラとしては初めて行く『クラぶぅ~』なのだ。

平均年齢は20歳代前半であることは間違いなく、若者から見たオイラは異星人に映ったに違いない。

ダンスのジャンルは'ヤング'のなかで流行のブレイク、ヒップホップ、ロッキングなどのストリート系である。
どちらにしてもアフタービートが気持ち良く、身体のハードな跳躍とソウルフルな表現を3時間ほど楽しませていただいた。
昨年の、このダンスイベントは大きなホールで行われたのだが今回は小規模なライブハウス。
この小規模なライブハウスって~のがとても良いのである。
20畳ほどの空間を轟かす大音響と、演ずる者と観る者達の様を観察していると、まるで古事記に出てくるアマテラスの「岩戸開き」の再現ではないかと思うほどである。
大きな会場もそれなりに良いのだが、小規模ライブハウスの良さは演じる者達の息や鼓動を、また、恍惚な表情をリアルに感じることで感動と共に涙腺が緩んでしまう。
なにしろ距離が近いということは生々しい!!

こんなに情熱をもってダンスに打ち込む若者もいるんだよね。
ニュースでは若年の犯罪を嘆きながらTVなどで報道するけど頑張ってる奴らだって山ほどいるんだ。
マスコミは、もっと頑張ってる奴らを取り上げるべきだよ!

そんなわけで、テンションを上げながら帰宅し、濃度の高いアルコールをテンション高く飲み干しながらBlogを一気に書く醍醐味も幸せの一味なんだとほくそ笑んでいるのです。
突然ですが、時としてこの世のものとは思えない感覚が突然襲ってきたりはしませんか?

この写真は今年4月下旬に親友の自宅で撮った写真です。
身体が透明化して彼の左手は奥にある手すりをも通り抜けています。
それから、もう1つ・・・
彼の股の間にスリッパが見えます。
スリッパの中身に実体を感じませんか???

写真はまるで昔のポラロイドな雰囲気ですが、実はコンデジで撮っています。
その上、シャッタースピードが1/4秒と、ブレて当たり前な状態です。
どちらにしてもナウイ文明の機器は時として条件を重ね合わせれば『時』以上に空間をも超越できる可能性を秘めています。
オイラはデジカメであっても人の心を映し出せる可能性があることを否定してはいないのです。
そうは言っても、今回の新作である『アルタ前』で使用したカメラは『Contax T3』で、フィルムは『Kodack T-MAX ISO100』を使って改めてフィルムの表現力の奥深さを実感しているところです
今日のランチは職場近くの蕎麦屋でした。
初めて行くお店なので、どんな味なのか興味津々。
結果としては「まあまあ」という程度でした。

でもこれだけの話題でBlogを書いたわけではありません。
その蕎麦屋には文庫本ほどの大きさで二冊「むかしばなし」が各テーブルに置いてあります。
「むかしばなし」は注文してからの待ち時間に丁度良い短編です。
オイラは『かさじぞう』と書いてある本を手にしました。
物語のあらすじは・・・

ある所に おじいさんとおばあさんがいました。
おばあさんが言いました。
『明日は年越しだけど餅の準備もできないから私の織った反物を売って品物を買ってきてくださらんか。』
おじいさんは、おばあさんから渡された反物を持って雪降るなかを出掛けていきました。
おきな声で『反物はいらんかぁ~』と叫んでも誰一人として振り返る者はいません。
困り果てていると、おじいさんと同じような傘売りと出会いました。
お互いに売れないことを慰めあっているうちに反物と傘を交換することにしました。
おじいさんは交換した5つの傘を抱えて帰宅しようと村はずれまでくると道端の六地蔵さまを見つけました。
『こんなに雪が降っているのに地蔵様が可愛そうじゃ』と5つの傘と自分の手ぬぐいを地蔵様に掛けてあげました。
手ぶらで帰宅したおじいさんは、このことをおばあさんに話すと
『良いことをしなすった。今夜はお湯と漬物を食べて早く寝ることにしましょう。』
とおばあさんは笑顔で答えました。
二人が寝ていると六地蔵様が尋ねて来て、御礼のお金と品物を置いて帰っていきましたとさぁ~

とまあ、物語はよくある『他人には親切にしなさい』という人生の教訓であるようです。
しか~~~っし!! それだけ?
見返りを期待しての親切なんて裏切られることなんてしばしばです。
それよりも、おじいさんの行為に対して、おばあさんの反応がミラクルです!
これこそが長年連れ合った愛の深さ、愛の証だと思うのです。
いっや~、素晴らしい!!

ところで六地蔵さまってね
どんな意味で祭られているかというと~~
http://kyoto.cool.ne.jp/jizo/Prejizo/rokujizo.shtml
↑リンク参照っす。(^^;
デジタル一眼については、毎度毎度断るごとにファインダー倍率の低さを嘆いている私です。
ご他聞に漏れず、我が愛機のNikon D100もファインダー倍率が0.8倍と非常に小さく、
まるで望遠鏡を逆さに覗いているかのようです。(ちょっと大袈裟)

今回紹介するアクセサリーは、そんな不満を解消できる優れモノ!!

>NIKON
>マグニファイングアイピース DK-21M
>一眼レフカメラ本体のファインダー接眼部に取り付けることにより、
>ファインダー倍率を1.17倍に拡大するアイピース。
>希望小売価格 税込 ¥3,150
メーカーのページへ

このDK-21Mを先日購入して実際に使ってみました。
最初に付いているゴム製のアイピースを外して付け替えるだけの超簡単な作業です。
まあ、作業時間15秒といったところです。(笑)

▽左が只のアイピース、右がDK-21M


▽装着前


▽従来のアイピースを外した状態(脱落防止の両面テープは愛嬌です)


▽DK-21Mを装着した状態


さて、ファインダーの見え方はど~なったかと申しますと、これがGoodなんです!
Webなどを検索してみますと、ファインダー視野の一部がケラレるとか書かれている場合がありますが、覗く角度を若干変えれば全て見渡せますので、私はまったく気になりません。
それ以上にピントの山がつかみやすく、構図についても細部まで確認ができるようになりました。
たった2,500円(売価)で、ここまで劇的に操作性が向上するアクセサリーは他にはナイかもしれません。
ちなみにNikon D70(s)のファインダー倍率は0.75倍と極小なのでDK-21Mによる効果は絶大だと思います。
メーカーでは非対応になっていますが、まったく問題ないそうです。

愛機のD100が銀塩のファインダーと同等になってご機嫌なオイラなのです。
そうそう、DK-21MってEOSにも無加工で装着できるという噂もあるようです。
県立美術館でいくつかの写真クラブによる写真展示が行われていた。
圧倒的にネイチャー系が多く、たぶん8割を超すかと思われる。
残りの2割の内のほとんどが祭りのスナップ。
私が大好きな日常的なスナップは指折り数える程度である。

さて、ネイチャー写真の真骨頂は、やはり自然の美を表すことが第一である。
しかし今回の展示作品の何枚かに疑問をもった。
素晴らしい風景を撮ってあるのにプリントが汚くて『えっ!?』っと小首を傾げてしまった。
どうやら一般向けのカラープリンターで出力しているようだ。

写真がデジタル化して暗室作業がデスクトップで簡単に出来ることは銀塩時代よりも可能性が広がり自由度も増している。
ところが、このデジタル暗室は一歩間違うと女子高生の化粧のように道化的な表現になってしまいがちだ。

この展示会での汚いプリントは縞模様のグラデーションであったりチリチリとした強い輪郭補正がはっきり見えるのである。
プリントした本人はどんな気持ちで晴の舞台にこの写真を出品したのだろうか?
全てを自分ひとりで最終出力まで追い込めるのは良いことだが、それ以上に努力(研究)が足りないたったひとつの工程で作品を台無しにしてしまう危険と背中合わせであることを忘れてはならない。

プロの写真家のなかにはプリントはプロラボに任せる人が少なくない。
これは最良な作品を提出するために、「餅屋は餅屋」であると考えているようだ。

どちらにしても、自分の写真を第三者的に評価していかないと目に入れても痛くない愛玩具になってしまうことを、もう一度自分自身に言い聞かせたところだ。
   
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