本館の『Photo Gallery 沙塵』へもお越しください。(Linkから飛べます)
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あるは、多くの人々にとって大切だった場所、
大切な財貨を注ぎ込んで建造されたこのお寺。
今も感じられるその思い。
一方で、かつての重要な営みも、時が移れば、
その意味も熱い思いもわすれ去られて、今と
なっては徒労であったのかという寂しさを感じる
こともあります。
私自身は、今どちら側に立つのか決めることが
出来ずにいます。
歴史のなかに多くの例がありますね。
でも、後者の側に立つと、今現在の無情にも
通じてしまう..。
どちらの側に立つかで、世界観が分かれる
テーマですね。
たとえば各所に国分寺跡地などという史跡があり、すでに寺としての形態も機能も存在しない。
きっと、この廃寺も尽きる過程で、まだ存在しているんだと思います。
もしかしたら復興するかも知れない。
でも、嘗ては村人の信仰の中心だった時には繁栄があったのかもしれません。
何かの理由で淘汰されるのであれば、今までの功績に対して感謝をするしかないのかなと思います。
そうは言っても「嗚呼、無情!」ですよね。